読んだ洋書の棚

Taka's bookshelf: read


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読んだ本報告


神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く ★4
おなじみの石井光太氏の作品です。アジアのイスラム圏においての娼婦・娼夫のルポです。ミクロのレベルからえぐるようにして、社会の問題の構造を鋭利なアングルで貫通させて読者に見せて行く、という「物乞う仏陀」と同じタッチの本です。いろんなストーリーがもちろんちりばめられているのですが、その中でもビルマにおいての、日本兵に強姦され村を逃げざるを得なかった現地の女性の夫の話が一番魂的に美しいと個人的には感じました。日本兵から孕まされ生まれた不具の子供が、結局一度もその後会えることもままならなかった妻とその夫とをつなぐ唯一の絆となり、その憤怒・憎悪の対象でしかなかった子供の存在こそが、実は幸福を運んでくれていたということにはたと気づき、感謝の念が溢れ出した、というくだりは魂的な観点からみて本当に深く、そして美しい逸話でした。心の抵抗を作る必要はなく、人生におけるすべての万象に対し、構えを解き、安堵、そして感謝の念をさえ持ち続ければ、魂は必ず輝きだす。そのことが非常に美しく描かれていました。


Bangkok Found ★4
Alex Kerr氏のバンコクについてエッセイ風に書かれた作品。著者のKerr氏は数十年京都に住まれた後、バンコクに居を移しそこにまた数十年住まれているようで、私がドイツに異動する2ヶ月ほど前に現地の日本大使館のお世話になったご夫婦から紹介していただいて、実際にお会いすることが出来ました。

というKerr氏なのですが、僕とは間接的な奇縁があります。というのも、実はこの方、その生前私の祖父の家を生前の最後の家として間借りていた骨董商のDavid Kiddという人のお弟子さん?のような方です。なので前からお名前は聞いたことがあったのですが、実際にお会いしたのがこのときが初めて、となりました。(ちなみに生前のKidd氏のコレクションを見させてもらったことが一度だけあるのですが、そのとき中学生でまったくわからないながらも、平安時代の国宝級の木彫りのご神体を見た時の衝撃というか鳥肌は今でもはっきりと覚えてます。)

本の内容は彼の半生がある意味ちりばめられている書き方で、バンコク、タイのいろいろな社会の層(上流、下流からスラム等)や、街の歴史や文化の彼自身の解釈や説明が混じあい、非常に読みやすい内容になっています。もちろんタイを語るにはさけては通れない王族の話も少しは出てきますが、発禁処分になっていないということでそこらへんのスパイシーな(?)部分はもちろんありませんが、バンコクに興味のある人にはこれ、なかなかのお勧めです。


What Got You Here, Won't Get You There ★5
これは世界的に大きな会社のCEO、重役、幹部、そしてトップを期待されているような層の社員に特化して人材育成のトレーニングをしてきている専門家の方がかいた本です。アメリカで結構ベストセラーになってるようです。この本を紹介されたのは、以前ニューヨークでの職場の研修に参加したときに必読、といって紹介された本です。まぁどうせ西洋的な内容の人材論、リーダーシップ論だろうと思って読み始めましたが・・・。これはなかなか面白い。

そのような層(大会社のCEOを期待されているような)の社員へのメッセージは、このタイトル通りで、スキル、そして実力、というもので現在の地位を築いたあとは、その実力やスキルだけではトップには立てず、Behavior(適当な訳が思い当たりませんでした。対人関係?自分の行動様式?)がこそ、本当に上に立てるかどうかを見る分かれ目となる、という、書きだせばなんてことはないのですが、 この本の深淵なところは、非常に東洋哲学に論が収斂されていること、でしょうか(実際著者本人が仏教徒です)。

かなり東洋的な結論が最後の方にでてきていて、こういう東西哲学の美しい交わり合いが書かれた作品も珍しく、ひさびさにずしんとくる本でした。まず自分の非を公に認める(sorryと言う、と強調されていました)、エゴを極力抑える、無私の精神、相手をたてる、などなど、一見して日本のハウツーものの内容かと思うくらいの推薦されたBehavioral patternが紹介されてました。

”西”の企業社会においてはトップに立つまでがエゴにきっちりと守られた個人の実力・スキルをもって威力を発揮するけども、トップに立った後はその個ではない無私の人格が大事となり、”東”においてはその逆、つまりトップに立つまでは無私の人格が大事となり、トップに立ってからは個人の実力、スキルを多いに発揮していかないといけない。ま、かなり強引ですが、こういうダイアグラムも描けるのでは、と感じました。

何千と取られて来たこの著者のアンケートの統計の紹介という形でこの本は閉じられていますが、どんな、世界で何本の指にはいる大会社の社長をしてようが、人間つまるところ、家族、友人、周囲の人を大切にし、真摯につきあい、自分が本当に楽しいと思えること、好きなことに挑戦し続けて行くことだけが、至高の魂の喜びにつながるという、魂の存在である人間への原点回帰が訴えられています。東も西もなく、あるのは一個の魂。なかなか驚かされ、良かったです、この本。

コブレンツ写真(Nikon D300)

実験的にですが、昨日天気が午前中はよかったこともあり、自転車と一緒にボンの隣町のコブレンツへと足を運んできました。列車で40分ほどのところです。自転車をどこに運び入れるのがいくまでわかりませんでしたが、一番前の車両、ということがわかったのでこれからまた近場であればこうやっていけるかな、と思ってます。

でも自転車と一眼レフ、というコンビネーションははなかなか難しいかもと感じたところはあります。第一自転車の進むスピードが速すぎて、あ、ここきれい、とおもっても結局諦めたり、あとは両手が自転車の運転で塞がれているので、いざぱっと写真を撮ろうと思っても一旦停止してから背中からまわして来て・・・という作業が入り、どうしても結構億劫になってしまいます。ねりねりと歩いてゆっくりといろいろ見ながら撮る、というほうがやっぱり合っているな、と感じた次第です。

ま、もちろん移動範囲は圧倒的に広がるので、まぁ拠点を決めて駐輪してから、と、計画的に使えばかなり便利であることは確かですが。


ハーグ・アムステルダム写真(Nikon D300)

写真のアップですが、LightroomでRaw写真の現像をする、という、時間はかかるけど楽しい作業はもう1年近くぶりとなります。バンコクで赤ちゃんが生まれてからは当然のように仕事終わりも忙しく、こういう作業をする時間もありませんでしたが、ドイツに来てからはさびしくも単身赴任となりましたので、先日ボンにいるバンコク時代からの友人と週末だけオランダのハーグ、そしてアムステルダムへといってきて撮って来た写真の現像です。

ひさびさにRawファイルの現像をしましたが、(まぁどこまでが"写真"でどこまでがいわゆる"芸術作品"なのかの境界線の議論はあるところですが)個人的にはこういういろんな側面から写真を”現像”してみて、その一枚一枚の写真のもっている顔を際立たせて行く、という作業は楽しいですね。

あと欧州の街はやっぱり”絵”になるな、と感じました。なんででしょうね、単なる偏見(!)か、もしくはひょっとして欧州の街は比較的大きくて、長い、”直線”が多いから、かもしれない、といまふと思いました。

アジアの所謂雑多とした感じはそれはそれでいいのですが、引いたアングルでの街の写真はどうも構図的に落ち着かないなぁ、という雑然とした印象を持っていたのですが、考えてみると小さくて、短い”曲線”が入り乱れているのがその遠因なのかもしれません。僕が広角を主に使うので、となると長い直線、といういうのは風景であれ街であれ、かなり大きな要素ではないか、といま直感的に思いました。

と、写真のことはそうとしても、アムステルダムには初めて(物心ついてから)行ったのですが、そのあまりのニューヨーク市(の古い区画。ウォール街とかの南のあたり?)との酷似さに本当にびっくりしました。ニューヨークが昔ニューアムステルダム、と呼ばれていたということや、オランダの大きな影響を受けている、とは知っていたのですが、まさか本当に(まぁ当然と言えば当然なのでしょうが)ここまで”似ている”とは思いませんでした。同市の中心地の建物や教会の形、デザイン、レンガの古さや色などなどが、NYのもつ雰囲気とまったく一緒で、始めはかなり戸惑いました。それくらいに似ていたのでびっくり。 街を歩いていてもふっと、そういうNYの空気感が感じられたのでそれも非常に新鮮でした。

珍しくも(久しぶりだったのもあるのでしょうか?)そこまで全体の枚数は取っていないのですが、30枚以上、セレクションに残りましたので、以下、ずらっと載せてみました。Nikon D300、相変わらず調子がいいです。故障ばかりが目立ったCanonの40Dから乗り換えて個人的には大正解でした。

(写真のスライドショーのリンクは最後にあります。レンズはすべて広角のAF-S DX NIKKOR 10-24mm F3.5-4.5G EDです。)