読んだ洋書の棚

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年末

皆さん、そろそろ明けます。また怠慢でいままで更新できてませんね・・・。どうもねぇ。先週の一週間は京都に帰っておりました。まったでも寒かったですねぇ。でもいつもどおりに非常に充実した忙しい日々をすごしてきました(それにしても寒かったですが・・・)。文房具、日本語の本(また30冊くらい購入)、京都のお土産、電子機器など、当地でしか買えないものをわんさか補充してきました。また大学で呼ばれて講師として90分話させてもらう機会がありましたが、これも結構いい経験となりました。教員の生活のリズム、というのを感覚でつかめた気がします。あと急に決まりましたが、大晦日から年明けまでは初のカンボジア、そしてアンコールワットへとバンコクからの小旅行へと出かけてきます。写真、とってきますね。晴れるといいです。今日はまたかなり汗ばむ天気となっています。バンコクの冬は暑い。

がら空き空港


昨日の夜のバンコク国際空港の日本-韓国行き専用カウンターです。いつもは長蛇の列なのですが、このがらすき度。そりゃそうでしょうなぁ…。

バンコク空港封鎖(続々)

さっき在留邦人向けのメールをみたら:
スワンナプーム空港を包囲していたデモ隊撤収に伴い、現在スワンナプーム空港の再開に向け保安点検作業中です。

現時点で当館が入手している航空関連情報によれば、タイ時間12月5日(金)に同空港の通常運用が再開される見込みです。

空港が再開されても、過密スケジュール等に対する対策や、現在までの予約客に対する対応は航空各社によって異なります。

また、予約されている便であってもキャンセル、出発時間遅延、時間変更等が予想されますので、搭乗を予定されている方は、チェックインの場所・方法を含めた搭乗方法を、ご利用の航空会社に必ずご確認いただきますようお願いいたします
とありました。さぁいつに完全に元通りのスケジュールになるんでしょうね・・・。でも案外回復が早まっている感じでとりあえずはよかったです。

バンコク空港封鎖(続)

やっと反政府の空港の封鎖が終ったようですね…。現地の大使館からのメッセージでは:

【注意】現時点では、スワンナプーム空港は15日午後6時まで、12日間の閉鎖延期が決定しており、解除されていません。
【注意】12月2日、空港を占拠していたPADから「3日10時から空港を開放する」旨の声明が出されていますが、そのとおり実施されても空港再開のための安全検査や機材の運び入れ等に相当の時間を要すると見込まれます。このため、空港における航空機の運航再開の時期は、現時点で判明していません。また、各航空会社から「臨時便の運休」あるいは「定期便の再開」の情報は入手していません。

となってますので、最低でも空港は15日まで正式に運行されず、これまたえんらいことになりそうです。個人的にはクリスマス時に帰国を考えていたのですが、このままでは年内には国外に出られない可能性も出てきました・・・。

しかしこのタイの政治の問題は何一つ解決してませんね。この国の階級社会の底力・醜さを恥ずかしくも全世界に露呈した感じでしょうか。しかしもって大迷惑。

バンコクステイ

空港の封鎖のせいで2つの出張がキャンセルとなったせい(おかげ?)でバンコクには連続して一ヶ月くらい居ることになりました。

この封鎖で個人レベルで影響がでてはいますがバンコクから出られないので偶然の産物的に、この週末は久々に落ち着いたものとなりました。読書が気兼ねなくできるというのは本当にありがたいことです・・・。

空港ですが報道では今週金曜日の王様の誕生日までは続くだろうと見られていますし、その後に空港が再開したとしても溜まっている遅延分ログの対処に一週間はかかるようですので、かなり悲観的にならざるを得ない状況かなと思います。

でもねぇ、選挙したら負けるからってここまでするか、というのが私の印象。この国、ちとわかりません(勉強しないと・・・)。

ムンバイでのテロ

っていま知りました。すごい規模ですね・・・。同地には2回ほどしか行ってませんが見覚えのある駅や高級ホテルが写真で出ていました・・・。これだけの規模になるとなんともコメントのしようがないです・・・。

バンコク国際空港封鎖

しっかしひどいことになってますね。経済的な被害が甚大なので首相府の占拠ほどには長引くことは絶対にないでしょうが、それでも'近代国家'として驚くべき行動(そして行動される側)ですね・・・。でも一週間以上続くとこれほんとに(個人的にも)被害がすごくなりますね・・・。ちょぴっと心配になってきましたが・・・。アジアにおける近代の借り物(アマルティア・センは違うと書いてますが)の概念かもしれませんが、民主主義というルールで国の素地をつくったのならばそのルール上で皆争ってほしいですね。ルールを変えよう、というのも既存のルール上で、ちゃんと議論してほしいのですが・・・。総選挙したら反政府側が負けてしまうのでしょうしねぇ・・・。なんかかまってほしい反抗期の少年の行動みたいですが・・・。

空港閉鎖?

どうも追加の情報ではバンコクの スワンナプーム空港に反政府団体が入り込んだようです。BKKを出るフライトがすべて欠航となっているようです。到着のフライトはまだ大丈夫なようですが、空港に行き来する道が大混雑、とのことです・・・。

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タイ デモ隊2万、国会包囲 審議延期で衝突回避

11月25日8時32分配信 産経新聞


 【バンコク=菅沢崇】8月下旬からタイ首相府の占拠を続ける反政府市民団体「民主主義のための市民連合」(PAD)は24日、支持者約2万人を動員し、 首都バンコク中心部の国会議事堂を包囲した。国会では、チャイ下院議長が審議の延期を発表し、衝突は回避されたが、PADはソムチャイ政権退陣や憲法改正 阻止を訴えて気勢を上げており、緊張が高まっている。

 PADの支持者らは、この日約1キロ離れた首相府から移動、議事堂前で憲法改正の討議阻止などを口々に唱えた。警察当局は混乱を警戒し、2000人以上 の警察官を動員、議事堂の敷地内に約300人を配置してデモ隊の侵入を阻止した。28日まで通常国会の会期中だが、事態の推移を見てチャイ下院議長は同日 午前、「デモが沈静化するまで審議を延期する」と発表した。

 PADは、このほか首相府機能が移転しているドンムアン空港や財務省にも支持者ら数百人を集め、抗議行動を繰り広げた。

 PADによる国会包囲は400人以上の死傷者を出した10月7日以来2回目。一方、タクシン元首相派の政府支持者団体も今月1日の8万人集会に続き、 23日にもバンコク郊外で集会を行うなど活動を活発化させており、双方の対立は徐々に激化している。これまでPADを狙ったとみられる爆発や銃撃で支持者 計4人が死亡、24日朝にも小規模な爆発4件がバンコク市内で相次いだ。

 今回のデモに先立ち、チャイ下院議長は24日の上下両院合同会議で憲法改正問題は扱わないと表明していたが、PADは、憲法改正によってタクシン元首相派が汚職罰則規定の緩和に動く懸念を払拭(ふっしょく)できず、デモを強行した。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席するためペルー訪問中のソムチャイ首相はPADによる国会包囲に対し、「辞任はしない」と改めて退陣を否定し、「デモはバンコクの一部で行われているもので、国家経済を脅かすものではない」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081125-00000052-san-int

またプロテスト

バンコクというか職場近くが運悪く震源地なのですが今日からまた反政府デモが活発化するようです。ほんとによりによって職場の目の前なんですよね。午後から始まるようです。この付近以外のバンコクは全く影響がないのですがねぇ‥。このデモは王妃が裏でサポートしてるとかいわれてますが…。いずれにせよちと迷惑であります。

iPhoneついに購入

はい。またご無沙汰してます。日曜日の夕方にバンコクへと帰っきてきました。が連日の出張と気候の違いのせいで喉をやらしてしまい、今も結構痛く疲労もちとたまっている感じです。

ともあれ、シンガポールですがついに、というかかなり偶然に表題のiPhone 3Gを現地で購入する事が出来ました。iPhoneを海外で使うにあたっての問題が二つあって、一つはSIMカ—ドのロックとあとは携帯電話会社との専属契約があります(日本のは両方ですね)。

ロックについては香港のiPhoneはもともと,ロックフリーとは知っていましたが、シンガポールのまでそうだとは知りませんでした。

ということで残るは携帯会社との強制契約となったのですが、ここでしたことは何かというと私のシンガポールの友人に頼んで彼に新しい二年間の契約を追加でしてもらってこっちはiPhone代のみを負担した、というからくりです。代金は月々のプランによって違いますが860シンガポールドルでした。

さぁiPhoneですがちょっと操作が合理的ではない部分もありますがそれを差し引いても十分に素晴らしいですね。でも完全にこれがないと生きて行けなくなるかもしれないのでそこはちょっと逆に不安ですが、いまんところはオッケーです。いずれにせよシンガポールの友人に感謝。

シンガポール

ども。ニューヨークからバンコクに帰ってきたのが月曜日の深夜、そして翌朝の便で今度はここ、シンガポールへと来ております。現地は連日のモンスーン雨。目的は仕事関連のフォーラムに参加しております。2日間の予定で明日に終りますが、NYから休みなくきているのでさすがに時差で体がぼけてます・・・。でもNYからの帰りの機内では結構寝られたので案外(前と比べて)時差ぼけの被害はすくないほうです。現在大学時代の友人の父親所有の古いビルの一室にとまらせてもらってます。学部時代の友人ですが、かれこれもう10年になりますね。早いものです・・・。

オバマ当選

決まったようですね。現在297票がCNNで確定となっています・・・。本当に歴史的な日となりました。

大統領選挙

今日の研修が終ってTVで大統領選挙を見ていますが、こういう歴史的な日にNYにいるというのもなかなか運がいいかな、と思います。ちなみに結構な数の同僚がNY市のハーレムにあるオバマ陣営の事務所に行きました。現在CNNでは174票vs49票でオバマがかなりリードしてますが・・・、さぁどうなりますか。

NY

先週末からまたNYへと来ています。6,7度くらいで結構外は寒く、その温度差と湿度の差のせいかついてからかなりのどをやらしてしまいました。現在で3日目ですがちょっと直すのにてこずっています。日頃はとらない鎮痛剤を夜に飲んだので今日にはかっちりと直したいところです。

いまいるところはTarrytownという、NY市から電車で40分ほどのところです。近くの町にはクリントン夫妻の家があったりと、かなりお金、そして歴史のにおいがするご近所であります。時期も時期で非常に紅葉が綺麗で、中西部にいた学部時代の紅葉がついつい思い出されました。非常に綺麗です。

ここには一週間、研修のため滞在いたします。これが終ったらとんぼ返りで次の日にシンガポールへと向かいます・・・。

ティグライのお勧めロッジ(ホテル)

ところで今回、旅の印象はすごくよかったのですが、全体的にソフト・ハードともに観光インフラが未発達だなぁという印象が強かったエチオピア。ですが、アクスムからティグライに向かう永遠と続くと思われたでこぼこ道で見つけ、そして驚愕したロッジ(ホテル)があります。ここを知っていたらゆっくりと一泊したかった・・・!というのがここで昼食を食べて1,2時間休んだあとに感じ入った感想です。

紹介しますと、この名前は「ゲラルタロッジ・ティグライ」(Gheralta Lodge Tigrai)というところです。どうもオーナーがエチオピアでうまれたらしいイタリア人で、彼の道楽(として思えないような場所に建ってます)のホテルですが、これがすばらしいです。写真を紹介すると:

ハートの形をしたおしゃれな屋根がそれぞれ個室のこのホテルの部屋です。右に見えるのがこのホテルで作られているちっちゃな農園。ここでつくられた野菜をたくさん使った料理がランチに出てきました。エチオピアで世界最先端の「エコホテル」を見たような感じでした。






大きな木のすぐ右に見えるのが、今回の旅程でいったロッククライミングをしないとたどり着けないティグライの岩窟教会がある岩山です。






昼食を食べたレストランの中。フラットスクリーンTVに驚愕。細部にわたり、このホテルの施設は非常にすばらしいです。でも一泊の値段は40ドルくらいだったお思います。まぁ儲かってはいないでしょうね・・・。




食べた昼食のパスタ。パスタ以外の材料はすべてホテルの庭からだとおもいます。6時間のでこぼこ道のドライブの後での休憩だったせいか、ともかくすごく美味かったです・・・。






敷地内の農園で取れた野菜のサラダが食べられます。







レストランの部屋のすぐ出たところ。ホテルのロビーかと思います。壁から家具からすべて地元の伝統的なデザインを工夫したものだとか。






レストランの外のバルコニー(?)。ここからの眺めもまた綺麗でした・・・。





てなわけでこれからエチオピアはティグライ(アクスム郊外)に行かれる方いらしたらぜひぜひ、試してみてください。本当にオアシスのようなところです。

このホテルのウェブサイトは:
http://www.gheraltalodgetigrai.com/

です。

iPhone 3GのSIMロック解除版

日本とかでも販売されたiPhone3Gですが、SIMロック解除されているバージョンがついにタイでも入ってきました。先日発見したのですが、香港(ではロック解除版が正式に売られているそう)のものなのかわかりませんが、値段はずばり10万円・・・。高い。

日本語とかは入力できるのでしょうかね、この香港とかのバージョンでは・・・?

でもほしいなぁ。でもたけぇなぁ・・・。

ザンジバル(タンザニア)



さぁ最後の東アフリカ旅行の報告となりました。タンザニアはザンジバルであります。ここには実際3日しかいなかったので撮った写真の量もそこまでなかったのですが・・・帰ってから確認してみるといかにこの場所が写真にとって見栄えのするところだったのかを再確認しました。

ということでザンジバルはすごく綺麗だったのですが、アジアのリゾートと比べると質・施設に対しての対価が2倍くらいしますね。まぁ当然でしょうけども。泊まったところも300ドル一泊、というのが相場だそうですが、バリでとまるとまぁ半額以下、というようなものでした。が、海水シャワーのホテルがざらにある(と現地での一泊目はこれでした)中、ちゃんと淡水のお湯のシャワーがザンジバルの孤島でもかかれる、というのは本当に贅沢なことでしょうけどもね。

ということで、ザンジバル。すごい綺麗でした。写ってる写真もその色が伝わっていると思います。2週間の比較的長い旅でしたが一生に残る旅となりました・・・。

ザンジバルのスライドショー

ナクル湖・マサイマラ(ケニア)



東アフリカ旅行の第4弾です。ケニアの国立公園のナクル湖、そしてマサイマラ、といってきました。サファリは人生で初だったのでどういうものなのか正直あまり想像もつかなかったのですが、やってみてなかなか価値はあるかな、と感じました。外貨収入のキーということで一日毎の入園料もホテルも結構馬鹿にならないくらいに高く、そのおかげかサービス・施設も思っていたよりもずっとレベルが高かったのが印象的でした(特にその前にエチオピアに滞在していたので余計かもしれませんが)。

ナクル湖とマサイマラを見たのですが、どうも運がよく、この公園にいるすべての種類の動物を見ることができました。ナクル湖ではひたすらムニムニ言ってるフラミンゴとか、またあまりそこらじゅうにいない象とか、かなりめったに見られないチーター(とさらにその子供3匹も)など、移動する檻で人間が周る”逆動物園”を体験してきました。野生動物が目の前に!とは月並みなコピーですが、なかなか凡人ながらもそういう体験がかなり新鮮でありました。




←象一家移動中








←ライオン一家






←動物園で見るのとはえらい違いの異星人みたいなキリン







←その珍しい(と言われた)チーターのお母さんとその子供







←ライオンは猫科。





でもかなり疲れたのは車での移動ですかね。一日平均4,5時間はサスペンションのあまりない車にて公園内、そして公園間を移動していた(国内の飛行機のスケジュールが合わなかったため)のでかなり最後のほうは飛行機にてとっととナイロビに戻りたかったです。・・・が、一度はサファリ、する価値あるなと長旅の車中で腰痛と砂埃にさいなまれながらも感じ入った次第です。

ナクル湖・マサイマラのスライドショー
(アップの動物の写真はどうしても写真としてうまく取れないのでスライドショーはすべて引き気味です・・・。)

ラリベラ(エチオピア)



さて東アフリカ旅行の報告の第三弾はラリベラという町であります。アクスムがエチオピアの紀元前から4世紀まで影響力を及ぼした最初の都ならば、こちらは 12世紀からの中世からの都となります。ラリベラが有名なのが、なんといっても巨大な岩をただくりぬくという作業のみで作られた教会、岩窟教会です。同市 には約12の岩窟教会があり、町自体がかなり小さいので、徒歩20分ほどの距離にすべての教会が”掘られて”健在してます。

基本的に教会内はすべて下足禁止です。が、これが何を意味しているかというと、何百年(・・・とはいかないにしても何十年は確実)と放置され、何万人の足で踏みつけられてい るカーペットの上を歩かないといけない、ということです(!)。ガイドブックにもめちゃくちゃ噛まれた・大変だった、などと脅しがかかれてあったので結構びびっていた のですが、東アフリカ滞在中はなんの問題がなかったものの帰国してからぶつぶつと噛まれた後が出てきてしまいびっくらこきました。・・・これはでも発症に時間がかかるのか、服にくっつ いてから3週間後に噛み始めるのか?よくわかりませんがまぁもうその跡もなくなったのでOKです。

中世のテンプル騎士団、古代ユダヤ教や原始キリスト教の影響が非常に強いラリベラの教会群はそれはそれは綺麗で感銘をうけたのですが、同時期に作られた教会を5つ以上行っていればどれも一緒に思えたときがありました(凡人の なせる業ですが・・)が、それでもラリベラにて美しい色、人、建物、そして光に出会えました。

エチオピア航空の国内線がキャンセルになりこのせいですべての旅行予定を調整しないといけなくなったり、博士の最終提出の修正を深夜まで凍りつく寒さのなか野外のホテルのロビーにて作業をしていたり、はたまたこのせいでかなりひどい風邪を引いたりと、結構いろいろあったラリベラですが、今となっては非常に印象に残ってます。(もっかい行きたいかときかれれば正直もう十分、と思ってますが・・・!)

ラリベラのスライドショー

いい靴

NYでの研修の二週間はまったほんとに忙しくかったですね。この研修そのものが時間をつめすぎて作られているのがそもそもの原因なのですが、それに加えてせっかくNYにいるのだからできる限りたくさんの人に会いたいという一心で結構ぎゅーぎゅーに予定をつめてしまい、結局自分の買い物とかのために使える時間がほとんどなくなる、というパターンが前回のNYの研修時からも続いています。

今回もそうだったのですが、ぼんやりと前から買えれば、と思っていた物にフォーマル靴があります。探していたのはフォーマルシューズなんだけど、長時間はいていても疲れないやつ、という代物。こういうスーツに合わせてはくようなフォーマル靴ってちょっと長い間はいてるとすぐに足が痛くなったりするので、昔からこういう靴は敬遠してきたのですが、今回ふと見つけたブランドでジョンストン&マーフィーというのがありまして、「10日間試着して快適と感じなければ返品OK」とうたっている店でありました。

アメリカのブランドなのですが、1850年創業と、これまた(アメリカにしては)非常に古く、創業時からアメリカ大統領の靴を作ってきた(らしい)会社です。10日間の試履(というのか?)を実施しているくらいだから結構履き心地に自信があるのだなとおもって試してみましたが・・・すばらしい。この靴は。いままで履いたどのフォーマルシューズよりも履き心地がいい。




 ←買った靴。




店の雰囲気も職人肌の雰囲気をかもし出しており、非常に好感を持ったのですが、かなりの満足度。まぁそれは3時間歩き続ければ疲れてきますが、それはどの靴でも一緒でしょうし、いずれにせよ今まで履いた中では一番心地がいいです。値段もそこまで高くない(私の買ったので160ドルで、これで結構高めの品でした)のでかなりお勧めです。ネットを見ていると日本でも売られているようなのでまたご興味のある方は試されてみてはいかがでしょうか。

時差ぼけ

はい。NYからばったばたと帰ってきてからやっとの週末となりました。結局BKKのアパートに帰ってきたのが日曜日の夜の1時で、あまりに疲れていたので爆睡してしまい、13時間も寝てしまいました。が、これが当然のことながら失敗で、結局月曜日の夜にまったく眠れずに、一睡もしないままオフィスに向かい28時間起きてなんとか火曜日の夜に寝ることができました。水曜日にはようやく時差ぼけも直り、やっと調子が戻ってきたという感じです。

いずれにせよBKK、成田、ニューヨークのフライトは結構つらいですね。研修目的ではエコノミーしか使えず、ANAを使ったのですが、当然のことながら巨人の私には席が狭い狭い・・・。ビジネスクラスなんて数えるくらいしか乗っていないので特にエコノミークラスには違和感もなにもないのですが、さすがにかなりきつかったです。このフライトをまた今月末にしなければいけないので、これはちょっと気が重たい(特に帰りが)ところです。これは10月の月末に1週間の私が関わる環境テーマの世界の同僚が集まってのNY研修で、これに参加するためにまた当地へと赴きます・・・。フライトがちょっと憂鬱です・・・。

東京→京都→大阪→東京→ニューヨーク

現在ニューヨークにおります。先週の一週間もまたこれまた忙しく動き回っておりました・・・。先週の水曜日には博士号の授与式があり、過去3年間の過半数以上の週末、そして今年に入ってからは週日も仕事終わりから深夜まで、というスケジュールでせっせと作業を進めてきていたので、心理的にこれで本当に開放され、天気(信じられないくらいの秋晴れでした)と一緒に結構心は晴れました。(でも参考用に、ということでバンコクに帰ってから論文の冊子を追加で7部作らないといけないのですが、まぁこれはそこまで急ぎではないので・・・)。

授与式のあとは高校時代の友人の結婚披露宴に出てきました。5分ほどのスピーチを頼まれたのですが、基本的にめでたい席なので脱線しすぎてもいけないので結構硬い話しかできなかったですが、とりあえず無事に(多分)終えることができました。そして翌日の早朝の国内線で大阪から東京にとびその足でNYへ、という道のりでした。

NYには以前に合格することができた4年間のキャリアプログラムの初研修が目的であります。昨日が初日で参加者の25名と会ってきましたが、国籍がまたかなり色とりどりでありました。書くと:

イギリス(2)
イタリア
南アフリカ
トルクメニスタン
トルコ
ノルウェイ(3)
中国
アイルランド
ガーナ
日本
フランス
スウェーデン
ギリシャ
キルギスタン
ネパール
カナダ
ポルトガル
イラン
ドイツ
アフガニスタン
シンガポール
オランダ

というものです。括弧内は複数の人数で突出しているのはやっぱり(?)北欧ノルウェイでした。今までこのプログラムは12,3人ほどしか取らないらしいのですが、なにが変わったのか知りませんが、今年はその倍の25人、でありました。また理由がわかったら書きますが・・・。

まだ一日しか会っていないので詳しくはまだまだわかりませんが、結構やわらかい、そこまで構えていない人が多いなぁというのが印象です。あとは25人中の7人までが元世銀ということでかなり多かったのと、あと面白かったのはこのガーナの人。物腰が柔らかでやったらと着ているスーツ、物がいいのでまぁどっかのお坊ちゃんかなぁ、と考えていましたが、なんと彼はガーナの国王(!)の息子らしいです。しかも王位継承権を持っている正真正銘の王子ですと。・・・へぇー。

今日は国連が定める休日、ということで参加者とどっかに行ってきます。NYは(何度も書いてますが)あまり私にはあっていない町なのですが、まぁ町ではなく今回の同期生といろいろと面白い時間がすごせれば、と思っています。

ハノイ→BKK→

ども。また忙しいスケジュールで、先週末は友人の披露宴のために2日間東京入りし、月曜日にとんぼ返りで帰ってきてそのままBKKの空港から直接ハノイいりし、いまさっきBKKのアパートに帰ってきました。・・・があと6時間くらいしたらまた空港に向かい、来週の一週間の個人的な2つの用事(博士の授与式と他のもう一人の友人の披露宴にでます)のために京都に戻ります。んで来週の日曜日に成田発のNY行きのフライト、となります・・・。移動がまたなげー。

行ってきたハノイはとある仕事のプロジェクトの問題解決が目的でしたが、まぁコミュニケーションがそのほとんどの問題の原因のようでした。つっけんどんに見下したような発言を繰り返す人間と、長年のプライドと頑固さをもつ科学者。そんなこんなで積もってきていた問題でありました・・・(まぁでもどちらかといえば前者のタイプの人間とはお近づきにはなりたくないものです)。ということで特効薬もないままでしたが、すこしはガス抜き・解決に向けての姿勢がつくれたの・・か?という状況ですな。

ティグライ(エチオピア)



さて第二弾はティグライという、アクスムから100km東に行った、つい最近までかなり内戦で危なかった場所であります。アクスムから100kmというとまぁ車で二時間くらいだろうと思ってしまうのですが、基本的にエチオピアの道事情はすこぶる悪く、小さな漁船に乗っているかのような横揺れ、そして工事現場の中枢にいるかのようなたて揺れを永遠と5時間(そして帰路は真っ暗な状態で7時間!)おんぼろバンで揺られての移動となりました。人間とはすごいもので、このような状態でも一時間くらいは寝られるものですね。気がついたら寝ていたときが何度かありました(が、あまりの揺れにすぐに体が落とされそうになったのでこの眠りは決して続きませんでしたが・・・)。



さてここはなにが有名かというと、’ティグライの岩窟教会群’という名称で知られる、キリスト教の迫害の時代に作られた、世にもびっくりの場所に隠されている中世の教会とその壁画(下の写真)であります。世にもびっくり、とは書きましたが、これはまじめで、上の最初の写真下の崖の縁に見えるのがこの教会の入り口で、ここまでたどり着くのに1時間半くらいかかりました。もちろん眼下に広がるのは真ん中の写真のような断崖絶壁風景。すごかったです。



ここにたどり着くまでは、車から降りての最初の30分は普通のハイキングみたいなものですが、あとの1時間は本当にロッククライミング状態の、文字通り垂直の岩を、前人が残してきたでこぼこを利用し右手左手、左足右足・・・とひたすら絶壁の岩を合計20mほど(5mが4回あるかんじ)登る、というものでした。小さいころから木登りが好きでこういうのは得意なはずでしたが、さすがに垂直の岩壁をみて正直驚愕しました。もちろん命綱もなにもなしです。最終的に無事でしたがちょっとさすがに怖い瞬間がありました・・・。

ということでスライドショーにあるのは、この合計12時間もの車での道程で撮った写真と、このふざけた(失礼)場所にある岩窟教会の周りの断崖絶壁風景と教会の中の壁画をのせました。でもひーひーいいながら登りましたが、この場所の周りの風景といい、絶景でした。

ということで一生の思い出となりましたが・・・もう行きたくないです(いやーでもすごかったです)。

ティグライのスライドショー

アクスム(エチオピア)


さてちょっとずつですが、今回の東アフリカの旅行のアップを始めたいと思います。第一弾はエチオピアのアクスムという、同国の一番古い、文化的・精神的な町であります。

ここはグラハム・ハンコックの(そのほとんどを読んでる僕としてはその中でも傑作にはいるとおもっている)「神の刻印」という彼の(エチオピアに滞在していたときのジャーナリストの仕事の後の)世に知られるデビュー作にも書かれてあるとおりに、同国では「ケブラ・ナガスト」と呼ばれる書物があり、ここに世に言う「失われたアーク」(契約の箱)が現在に至るまで上の写真の聖マリア教会に安置されているとのことです。ちなみにこの教会にはもちろん誰も入れないのですが、この写真の位置から教会に通じる範囲はすべて女人禁制でした。またフリーメイソンの前身とも言うべき中世のテンプル騎士団もアークの奪回のためにここに滞在していたという伝説もあり、とにかくこういう中世古代の話が好きな人には想像かき立てられる町です。

エチオピアにはバビロン捕囚以前の古代ユダヤの風習を守り続けていた「黒いユダヤ人」と呼ばれる人々も以前(現在は彼らはすでにイスラエルに移住したとのこと)は生活しており、ユダヤの失われた12支族が発生する前の原始ユダヤの姿、そして教えが、(4世紀まではヨーロッパでもそうだったように)古代キリスト教の教えと共に共存しているという、宗教上のガラパゴス諸島のような国であります。

もともと今回の東アフリカの旅はすべて自分たちでえっさほいさとバックパッキングですべてを、と思っていたのですが、いかんせん初アフリカの初心者ですので、代理店に頼んで現地での移動・宿泊の確保をしました。

エチオピアの旅の見積もりは、ナイロビベースの旅行代理店にもいろいろと聞いては見たのですが、結局アディスアベバにある現地の旅行代理店を選択しました。ここはアディスで勤めている国連の同僚の推薦の旅行代理店でありましたが、結果は非常によかったです。エチオピア人しっかりしてる!とアディスの空港にもきっちりと時間通りに迎えに来てくれ、必要書類も見事にそろっており、不安を見事に拭い去ってくれました。

ここのアレンジもなかなかなもので、メールだけですべての段取りをしたのですが、(たまに2,3日返事がないときもありましたが)かなり信用に値する、しっかりした代理店だな、と感じました。使った代理店の名前は Best Travel and Tours です。

値段は交渉の余地がすこしあって、4泊5日のHistoric Route Tourというもので、一人700ドルでした。始めは900ドル近くをいってきましたが、まけて、と書いたらここまでまけてくれました。ナイロビベースの代理店に聞いたときは同じ旅程で一人1500ドル近くも言ってきたので、それに比べると、現地の代理店なので結構お買い得な値段ではないのかな、と感じました。ということ責任は取れませんが、私はお勧めです。

エチオピアの旅程は、アクスムに1泊、ティグライに日帰りの遠出、そしてラリベラで3泊(また書きますが、ここでのアディス行きの国内便がキャンセルとなり、2泊から一泊増えました)、というものでした。

エチオピアはアフリカの屋根、と言われるように非常に標高が高い(どこも1500m以上)ので、今回訪れたときも非常に寒く、夜中は白い吐息が見えるくらいでした。直接被害はあまりなかったのですが、雨も局地的にかなり降りました。

アクスムには1泊分しかいませんでしたが、この町がエチオピアの精神的な支柱になっているということを肌で感じることができました。

→ アクスムのスライドショー

最近の国連事務総長のディナースピーチ

これ、公開していいのかわかりませんが、同僚間で回ってきていたので、(ちょっと長いけど)バンキムン国連事務総長のイタリアにおいてのディナースピーチ。One UNとはいったもののその難しさ、フラストレーションがかなり伝わってきます・・・(って私も無関係ではまったくないのですが・・・!)

Ban Ki-Moon remarks at Chief Officers of UN Funds and Programme Meeting, Turin.

"This evening, if I may, I would like to return to the theme with which we began today's discussions. We spoke about our vision for the coming year. We discussed how to make our UN more modern—faster, more flexible and responsive.

We agreed that our focus must be on results—on action, delivery and effectiveness. We also agreed, above all, that the only way to change the culture of the UN is through teamwork.

I invited you to reflect on how well our team is doing. I wanted us to be frank and open with one another, even blunt, to speak from the heart.

As we enjoy this excellent meal, let us sit back, then, and take stock.

We have many reasons to be satisfied with our progress. But let me speak this evening about what has most frustrated me over the past year, and continues to frustrate me today.

We all know the UN is a huge bureaucracy. Coming here, 20 months ago, that prospect did not bother me. After all, I was Korean foreign minister. I spent many years in large organizations.

Trust me. I knew how to play the game.

Then I arrived in New York. There is bureaucracy, I discovered … and then there is the UN.

We must admit this. We must acknowledge how resistant we are to change. It cripples us in our most important job -- to function as a team.

As a manager, as a leader, what I have always valued most is teamwork. In choosing my senior advisers, I have always cared less about a person's intellectual attainments than his or her ability to work well with others. I always ask myself: how will this person help promote teamwork, the sense of working together as one.

Here at the UN, unfortunately, I see people too often putting their own interests first. I see too many turf fights, too much intramural wrangling, too much protectiveness of the status quo.

People forget. It is precisely the status quo, "the way things are done"—that we are trying to change. Why should we be so afraid to change?

I made these points last year, forcefully. But I see little evidence of a change in mindset. As a team, we are still too process-oriented. We get too bogged down in internal or bureaucratic technicalities. We waste incredible amounts of time on largely meaningless matters.

People forget. The clock is ticking. We are one-third the way through our mandate.

People forget. We are here to act. We are here to deliver results. We are agents of change.

Our job is to change the UN -- and, through it, the world.

This is the big picture. I am frustrated by our failure, so often, to see it.

Department heads squabble among themselves over posts and budgets and bureaucratic prerogatives, as though as they somehow owned them. But our departments, agencies and programmes are not personal fiefdoms.

We are just passing through. We are temporary caretakers.

Always, we must keep the larger interests of the organization at the forefront of our minds. We must work together and compromise to reach solutions that are in the best interests of the UN and the global public good.

I am frustrated even more by our slowness. By the micro-managing of our Secretariat. By business as usual.

We often complain that Member States micro-manage us. But I have found over the past 20 months that it is more us, rather than Member States, who are the micro-managers.

As I said this morning, we must change our UN culture. We must move faster. Simplify. Deregulate. De-centralize. Break down barriers and create more mobility within the organization, so that we can draw more fully on the talents of our staff.

I mention staff mobility, because it illustrates the problem. How often do we hear the lament: "O, if only we had more resources. If only we had more people or more money."

Well, we do not have more posts and more money. Ten to 20 years from now, we will still be complaining about shortages of resources. We must do better with what we have. Key to that is better use of our staff, with better training. And the best training is mobility and breadth of experience.

That is why I have turned over almost 100 percent of my staff on the 38th floor. We hired new people from inside the UN and from outside, from other departments at headquarters and from faraway field postings. What we might have lost in institutional memory we have more than made up for in new energy.

And in the end, that is what counts. Energy. Dynamism -- the dynamism that drives change. If water does not flow, what happens? It grows stagnant. I want continuous change, dynamism, creativity.

I tried to lead by example. Nobody followed.

That is why I have now challenged the new USGs for Management and Human Resources to come up with a plan.

Soon, we will be launching a new pilot program in inter-departmental mobility. You will hear more about it from Angela Kane and Catherine Pollard.

But bear in mind this revealing statistic, which sums up our problem: of some 900 UN employees surveyed for this new initiative, 720 have been on the job more than five years—and many considerably longer.

The UN has tried to change before. Guidelines for mobility were written in the 1970s. Our current policies were launched in 2002. But nothing has happened. My challenge to you—let me be very clear—is to deal with this all-important issue, decisively.

In the past, I have joked—or half-joked—about resorting to "shock therapy." Perhaps we should "mobilize" by fiat and simply direct DPA and DPKO to simply swap 20 percent of their staff.

So, in our deliberations, I ask you: how are you doing on mobility? How can you do better, so that a year from now we will have accomplished what we need to accomplish.

I urge you to ask the same tough questions about other vital issues, such as gender equality and budget management.

Above all, I invite you to ask: am I doing my best for the team?

Do not mistake me. I value independence. Initiative too. But we must remember that independence is not absolute. We are part of one organization, one UN. Independence does not free us from the need for consultation and collaboration and teamwork.

There are no exceptions, even in offices intended to be the most independent. Those of us who act otherwise need a personal reality check. Ego may be getting in our way.

When we work for the UN—when you work for me—please leave your ego at the door.

Today's most vibrant enterprises are networks. Let us build networks within the UN to break down bureaucracy.

I made this point last year, and I do so again. In our work together, I want you to cross lines. I want you to consult colleagues beyond the usual sphere, connect throughout our organization. Instead of commissioning subordinates to write long and dense memos—scarcely ever read—pick up the phone. Come to my office, or the residence on weekends. Sit down with me.

Go see colleagues and sit down with them. Amazing work gets done when two senior people sit down for five minutes and decide something.

Our work is urgent. Let us infuse it with a sense of speed and urgency -- the passion of accomplishment. Let us not confuse our inner world -- the physical halls of this UN -- with the real world. Let us always put real-world results ahead of bureaucratic UN process.

When you are trying to do something that is tough, when you are trying to change the status quo, people will resist. Your subordinates will come to you and whisper in your ear.

"Boss," they will say. "Your leadership will be undermined. We will lose power within the organization. Resources will be taken away by So and So."

Don't listen to them. They are thinking of their own position or benefit, not the larger interest of the UN, or what we are trying to accomplish as a team.

This is what I told the opposing parties in Kenya. Compromise. Give way to one another. This is the way to make friends, gain good will and trust. Whether it is two months or two years, you will be compensated.

Remember: often as not, losing can be winning, and giving is gaining. This I know. It is what brought me to become Secretary-General. It is my life philosophy.

When I leave this place, I will be remembered for what I managed to accomplish. How many countries I visited, how many presidents I met, the fine words I uttered -- none of that will matter.

So it is for you. In the end, we will all be judged not only by what we do in our own departments, but by the successes of the UN as a whole.

We left Torino last year determined to build a Stronger UN for a Better World. This year, we must take stock of how we have done, and where we can improve.

One UN is not a slogan. It is a management imperative. It is the first principle of effectiveness. It is the thing I will watch most closely.

We must all be on notice: working together shall be the litmus test of your success in heading our departments, agencies and programs.

I know you agree. That's why you are here—because, in your previous lives, you demanded excellence and got results. Now it is time for us to bring your abilities fully to bear -- together -- on the world's problems.

Thank you."

タイ反政府デモ



前にとった写真といえば、そういえばタイの反政府デモの写真を撮ってたので張ります。これは例の一人死者がでた直後の朝の風景です。なので非常事態宣言が出された後の9月2日の朝なので、かんなり静かな国連正門前の集会場です。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080902-OYT1T00282.htm
 (読売の記事)

この非常事態宣言で、確か5人以上の外での集会は禁止となっているそうです。もちろん官邸にい続けている"民主主義のための市民連合"(PAD)の連中は法律適応外?なんでしょうけども。

最近はこの宣言のせいか、国連の正門前はかなり静まり返ってます。でもバンコクはこの政情の悪化のせいで、国連のフェーズ1と相成りました。出張から帰ってくる前にSecurity clearanceをしないといけないようです。

早く収まるといいですが・・・あまりすぐには治まる気配はないでしょうね。

博士号

それと、つい昨日に私の博士論文が最終承認された、との報告をもらいました。・・・これで本当に終わり、といいたいところですが最後の(3年で3つ出した査読付き論文のうちの一つ)ペーパーの修正をして、本当に終わりとなります。でもこの修正も博士論文とは別個でするので、いずれにせよ博士課程の終わりは終わりです。

まーよかったです。今月からの予定もちょっと結構忙しい(来週末日本→ハノイ1週間→再度日本1週間→ニューヨーク2週間の予定。現在の職場は本当に移動が多い・・・)ので、あまり実感とか余韻に浸る暇もないですが、とりあえず3年間、ご苦労様でした・・・。

ということで晴れての博士号取得、と相成ります。



・・・細菌博士?

細菌感染そバンコクの病院

さて、最近調子が悪いと感じはじめて早5日くらいがたとうとしておりまして、昨日に同僚からひょっとしてデング熱じゃないの?などとかなり脅されたために昨日の夜にバンコクの病院に行ってきました。

・・・が、実際なんの熱もなく、ただ単に体の疲労感・倦怠感があっただけなので、「特に問題はないでしょう」と言われたときにはまぁそうだろう、とは思いましたが、(その以前にとっていた)今日の朝のアポも、まぁ念のために・・・ということで行ってみることにしました。

んで採血検査をしてもらって、結果は・・・細菌に感染してました。

マイコプラズマ(Mycoplasma)というウィルスと細菌の中間にあるようなものらしく、それに感染しているとのこと。ただ熱もなにもないので、発症はしておらず、念のため、ということで抗生物質(Zithromaxというやつ)を処方してもらいました。確かにこれを飲んだあとはこの倦怠感の部分が抜け落ちたような感覚があるので、ああ効いているな、と実感してます。んで念のためにこれから一週間は自宅通勤、となりました。

それにしても・・・これは多分東アフリカなのだろうと思われます。でも(繰り返しますが)発症はしていないので早めに潰しておく意味で薬を飲み始めました。どうりで体の調子がおかしいなぁ、と感じていたわけです・・・。細菌感染はさすがに気合の入った深呼吸ではすぐには直らないようです・・・。

ということでちょっとびっくり、ちょっと納得の検査結果でした。でも抗生物質が効いているので直ります、治します。

と、それはそうと、今回いった病院、Bumrungradという病院(www.bumrungrad.com)なのですが、この病院の新しい病棟ビルに行ってひたすらびっくり。下の写真は、そのあまりの病院らしからぬ豪華さに驚愕したので撮ってたものです。

ここはタイでも一二を争うレベル・値段の病院でしょうけども、それを鑑みても・・・バンコク、おそるべし。サービスも超一級。同僚のアメリカ人もこんな病院生まれて未だにみたことがない、とびっくりしてました。聞いてみるとタイは医療のレベルも(お金を払えば、でしょうけど)非常に高いらしいです。それにしてもびっくりの内装・サービスでした。

(下の写真はすべて病院内です。念のため。)





ビル内は吹き抜けになってます。




患者さんたちの待合室(!)



外来受付


一階の総合案内


スタバまであります。


一階入っての吹き抜け地階の中庭園


どうでしょう?びっくりしません?

非常事態宣言

国家非常事態宣言が出されてしまったバンコクです。特にその大きなニュースとなった死傷者の事件があったのがまさに国連の正門前付近ということで、今日はまた国連職員全員に自宅通勤の要請が来てました。

・・・ということをしったのが職場に着いてからなので着いて正門のガードにそのことを聞いてびっくり。タクシーで来るときもやたらといつもと比べて静かだなぁ、と思っていたので変だなとはおもったのですが、まさか目の前で事件が起こっていたとはまったく知りませんでした・・・。

でも非常事態戦前といっても町はまったくもって普通です。明日も今のところは通常通りに出勤、ということですが、この引き続いての騒ぎ、どうなるんでしょうかね・・・。

人生初x2

東アフリカの旅行から帰ってきてから始めのネガティブインパクトが出てきました。ダニにかなりかまれてました。エチオピアで。

ガイドブックには(エチオピアの)教会内では下足禁止なので床のカーペットには無数のノミ・ダニが生息しており、ズボンに少し触れるだけでもう噛まれる、とか書いてあったのですが・・・。旅行中は特に問題がなかったのですが、この2日前くらいに10数箇所噛まれているのが発覚しました。多分ズボンに生息していて噛んだのが最近?なのでしょうか。よくわかりませんが・・・。まぁそこまで痒くもないのでとくに支障はないのですが、うまれて初めてのダニ、ということでした。

うまれて初めてというトピックで言えば今日食べてきたタイ料理のスープに海苔が海に存在する形でどかっと入ってました。これが海苔なのかと判明するまでにすこしかかりましたが、食べると海苔の味だったのでああ、これが海苔の原形なのね、と感心しました。なんか不気味な草ですなぁ。現代人感心。時々まったくの無知を露呈するときがあるのですが、今回もそれでしょうか。漢字が読めなかったり枝豆が大豆とは知らなかったり・・・。

ちょっと疲れがたまっているのか体調があまりよくありません・・・。まぁ寝て直します。

BKKに帰還

暫くぶりです。昨日に2週間の東アフリカの旅から帰ってきました。自身初のアフリカ大陸となり、結構疲れましたが結論的に非常に充実した旅となりました。

回ったスケジュールは、エチオピア5日間、ケニア(サファリ)4日間、そしてタンザニア(ザンジバル)3日間という、結構タイトなものでした。エチオピア、そしてケニアのサファリ周りでは一日約4時間以上でこぼこ道に揺られながらの移動となりましたので最後のほうはさすがに腰に来てましたが、エチオピアの田舎の道路状況を振り返るとケニアもザンジバルも非常に発展している、とところどころで感心してました。

途中のハプニングといえばすべてエチオピアで起きた(!)のですが:(1)少年詐欺師の被害にうまれて初めて会い(って被害は2千円くらいですが)、(2)国内便が天候の理由とかで直前にキャンセルになったせいで一日待機となり残りすべてのスケジュールの変更を余儀なくされその作業に追われ、(3)ネットのアクセスがダイアルアップしかない状態で(最後の最後で)博士論文の3ページの追加要請が教授から来てしまい、ホテルの外のロビーで気温5度くらいの寒さに震えながらも日本の親に送信を手伝ってもらいながら作業をしたり、(4)結局途中で(実に4年ぶりの)風邪を引いたりと・・・まぁ被害はかなり抑えられた方だと思いますが、こういう小難はまぁありました。なんとか無事にそのあとは問題なく旅を進めることができましたが、東アフリカなのでまだまだ状況はましなんだろうな、とアフリカ初心者の私は勘ぐっております。

あとは例によって好きな写真をかなりとってきましたので、これからまた時間を見つけてこの旅をご紹介できれば、と思います。

帰国後の勤務初日の今日は一日自宅通勤となりました。例のバンコクの反政府デモのせいで国連オフィスが閉鎖となっていることに現地についてから知り、結局とんぼ返りでAPTに帰ってきました。でも東アフリカから帰った後はBKKのものすごいまでの発展、暮らしやすさについてただただ圧倒されます・・・。

東アフリカに出発。

えーと、ではこれからあと30分後にBKKの空港へと出発します。これから2週間の東アフリカの旅に出てきます。博士論文も最終提出を昨日の月曜日の午前4時に提出し、これですべてがおわった!?はずです。

またバタバタですが、ではではまた。

明日最終提出

さていよいよ明日が最後の博士論文の提出日となってます。今回の作業の分量は今までと比べるとやっぱりかなり少ないと感じてますので、明日には多分問題なく完成すると思います(まぁさせないといけないのですが・・・)。明日の夜に提出して、担当教授から特にコメントが12日までにないと、それで本当におしまい、です。今日はそこまでぎちぎちには作業はしなかったのですが、明日は集中してラストスパート。がんばります。さっぱりと終らせて来週からの旅行の準備にまわりたいと思ってます・・・。

帰国後

ちょっとまた日があいてしまいましたが、無事にBKKに戻ってきております。それにしても・・・

あつかった・・・。


熱かった・・・。




日本は、暑かった・・・。


BKKで慣れているなんて勘違いしていた私は吹き出る汗、不快指数120%の中におりましたよ・・。なんなんでしょうね、あの京都付近(だけなのかなぁ?)の異常な、いやらしくまとわり着く湿気は・・・。本当に不快でした。BKKはジャカルタに比べてかなり湿気が高いほうなので、京都よりは当然湿気・温度がひどいとは思っていましたが・・・大はずれ。

しつこいですが、本当に暑くて不快でした・・・。



・・・まぁそれはそうと、博士の発表ですが、大過なく済ませることができました。2,3のコメントは結構的を得ていたので論文の最終版にちょろちょろっと書き足させてもらう予定ですが、今週末までにしなければいけない最終作業はこの今までの半年を考えると非常に楽なレベルです。今週末に担当教官に出して、来週の火曜日くらいにまぁこんなんでいいだろうサインがあれば栄光のスゴロクの'あがり'となります。

そして博士の最終論文の提出が終る直後には当方、かなり大き目の休みに入ります。2週間とりまして旅にでます。目的地はエチオピア、ケニア、そしてタンザニア(ザンジバル)であります。またえんらく遠い、珍しいところと思われるかもしれませんが、普通ではいかない・いけないところに、という主旨で組んだ旅行ですので、十分満喫してきます。

この9月からは3年間の心・時間の呪縛がとかれるので、その新たな人生の始まりに向け、早速30冊ほどの本を日本で購入してえっさえっさとBKKまで持ってきています。さぁ、いろいろとはじめますよ。

帰国

ではあともう少ししてバンコクを出発します。博士の最終発表のための帰国となりますね。一時間の発表ですので結構長いですが、大過なく発表を終らすことができれば、と思います。前回帰国したのが年末なのでもう半年以上たってますね。早いものです。京都はまたうだる暑さのようですがバンコクで生活していて京都で夏ばて、はさすがに笑いものなので日中は気をつけるとします。ではでは。

博士就職難

はい。昨日の夜に12時間以上の時間を費やしてシンガポール経由で帰ってきました。かなり疲れましたわ。でも本当に私が空港に朝の7時に着いた頃は、当地で行われるSAARCの会議の代表団の車が道路を封鎖して通り始めていたときなので本当にタイミングよく脱出できたという感じです。

火曜日の深夜には博士の最終発表のために日本に帰る予定です。この発表の用意とコロンボでできなかった通常の仕事の作業を今からします。

以下、日本における博士の就職難についての記事。需要と供給で、日本社会に需要がないまませっせの博士の数を増やそうとしているのが原因なようにおもいますが・・・?(まぁその恩恵を漁夫の利で得ようとしているのはこの私だったりしますが。)


「末は博士も就職難」、修了者の25%が「浪人」

読売新聞

"大学院の博士課程を修了した若者たちの就職難が止まらない。

 特に苦労しているのが文系の人たちだ。大学教員は狭き門。民間の受け入れ先も少ない。そんな中、面接のコツを教えたり、就職先を紹介したりする企業も登場している。(社会部 竹井陽平)

 文部科学省の調査によると、昨年3月の博士課程修了者1万6801人のうち行き場のない人は4146人。実に25%が「浪人」を余儀なくされたのだ。しかも、この数字にアルバイトなどは含まれていない。

 「この先どうなるんだろう」。早稲田大学大学院博士課程に在籍中の牛山美穂さん(28)は不安になる。文化人類学専攻。論文が完成したら複数の大学に送 り、助教など研究職を探すつもりだ。が、周囲には博士号を取っても給料の安い非常勤講師をかけもちしなければ生活できない人が多く、牛山さんは「どこでも いいから正規の仕事を」と焦りを隠さない。"

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080726-00000027-yom-soci 

首振りが始まったところで・・・

はい。一週間これまた怒涛の出張スケジュールでしたがなんとか終えることができました。でもスリランカ、初めてでしたけど、かなり気に入りました。人々も一律やさしい感じで、政府そして研究者のサークルも軒並み(すくなくとも私があった限りでは)キャパがかなりあって、やる気もあり、どこかの途上国によく感じられる"袖の下"文化があまり浸透していないような感想を持ちました(まぁ1週間なのでなにがわかったわけでもないですが・・・)。私が担当している仕事でも結構ポジティブな動きがかなりあったので、また近いうちに帰ってくるとは思います。

ただ現在雨季でかなり曇っていて1週間いて一日しか晴れなかったのがちょっと残念ですが、まぁそのおかげでそこまで気温が上がらなかったのでよしとします。

それはそうと私の癖(そして長点?)で、その国の人々のしぐさ、そして言語のアクセントにかなり染まってしまう、ということがありまして、今回の出張も三日目くらいからはすでに(例の南アジア圏の人々がする)首のくねくね・・・がうつって来てました。アクセント・話し方も徐々に現地のそれがうつってきていたのですが自分でもその変化に笑いつつ、生産的な一週間をすごさせてもらいました。(この癖でいうと、インドネシアに一年半いたので、まだ結構インドネシアなまりや、彼らの英語の話し方がまだ消えてません。まぁインドネシア語はかわいい感じの言語なのでいっこうに被害はありませんが・・・。)

ということです。明日は早朝でシンガポール経由でバンコクに帰ります。また週末と来週の中盤からが忙しくなります・・・。

コロンボ

ども。バンコクからコロンボへの乗り継ぎがかなり不便(同地に深夜につく便か、シンガポール経由でも朝の5時には空港に着かないといけない)だったのでコロンボに朝の8時半に着いたときは結構さすがに疲れてましたが、まぁ日曜日にはすこし休むことができたので元気にやっております。着く前はどんだけセキュリティが厳しいんだろうと思ってましたが、まったくの肩透かしでまったくもって問題なかったです。

コロンボの市街地のホテル、という予定が今週末より始まる南アジアのサミットの影響でセキュリティがかなりタイトである、という情報を受けてスリランカ事務所の計らいで同地で一番古い(と思われる)イギリス植民地時代の知事邸宅がホテルになったところに滞在してます。部屋から海も見渡せてまぁそれはそれでいいところなのですが、最近は雨季で結構曇っていて残念ながら夕日はまだ見れてません(ほんとだったら夕日が綺麗なところのようですが・・・)。そう、それはそうとここの部屋にはアリが結構おおくてベッドの上にもちょこちょこいるし、書斎机で作業をしていると空から降って?きます。さっきも一回噛まれました。

Office2007

ところでOffice2007ってすごいですねぇ。特にパワーポイントがすごい。箇条書きでテキストを入れるだけであとはなにからなにまでチャートの種類をえらべてカラーリングもすべて調整してくれます・・・。正直おったまげますね、これは。

従来のパワポだったら最低20分はかかる作業が本当に一瞬でできますし、しかも(プロセスとかリストとかのいろんな)チャートの変更が瞬間的に行えます・・。Excelの表とかもクリック一つで背景に溶け込むようなカラーリングで3Dにできたりと・・・いや、ちょっと2007を馬鹿にしてました。まいった。でもおかげさまで発表用の手間が本当に省けてます。同じ箇条書きでも見た目が雲泥の差なので・・・。

機内読書リスト

(現在博士の最終発表用のPPTをPDFに直している最中ですがあまりに時間がかかっているので・・・)

最近読書で方針を変えたことがあります。それは、飛行機の中では日本語を読もう、ということです。前まではまぁ英語の簡単な小説(ハリーポッターとかマイケルクライトンとか)を読んでいたのですが、やっぱり日本語のほうが圧倒的にエネルギーを使わないで読めるので、疲れやすい飛行機中にはもってこい、ということで先月の移動中はせっせと日本語の読書に努めていました(おかげで最近は飛行機移動が楽しみになっています。時間に対する罪悪感がなく、気兼ねなく読書ができるので)。

あと、英語の本をなるべく読もうとは意識的にいままで努力をしてきたのですが、ここにきて「日本語になっている本があればそれはもうそれで読んでしまおう」と思うようになってきました。理由は簡単で、同じ情報の取得に費やすエネルギーと時間が4,5倍早いから、というだけの理由です。今までは英語にしておいてやっぱり英語に慣らしていかないと、と思っていたのですが、まぁそう硬いことをいわずに、という心境になりました。

以下、あまり価値のないコメントをがらがら書いてみました(あーそれにしてもはやく自由に読書がしたい・・・)。

★★★★
・小泉官邸秘録
いかに小泉政権が、官邸主導で今までの内閣とは一線を画していたかが伝わります。飯島秘書官がどのような体制で小泉氏を支えていたのか、官僚を使う、というのはどういうことなのか、情報統制・コントロールの仕方、という面でも非常にリアルです。こういう野心のなく、かつ抜け目のない秘書官をして小泉長期政権が実現したとも思えるくらいです。秘書官という女房役がしっかりしていないと安部さんのときのようにぼろぼろとおこぼれや弛みががでてきてしまう、というのはこの彼の作品を読んでいて良く伝わります。使う方(官邸)、使われる方(官僚・政治家・企業家・国民)の両方がそろわないと逆効果になるとは思うのですが、この官邸主導というのは、実に官僚的に窮屈な現代日本には一つのロマンのようなものを感じさせてくれます。

・構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌
彼がいなくては所謂小泉改革のほとんどが日の目を見ていないということがこれを読むとわかります。ThinkとDoとの違いはここまで大きいのか、という感想。「戦略は細部に宿る」とは著者が繰り返し強調してますが、権力を授かった一流学者の凄みを感じさせるには十分の内容です。理論と実践というのが常に(政治という非常にバイアスのかかった網で覆われてますが)交わり続けているアメリカの醍醐味・興奮度を間接的に感じるとことができました。アメリカのWest Wingの大統領みたいな印象を受けましたが、こういう(彼のような例は)まぁもう二度とこないのでしょうね。

・巨像も踊る
これはかなり読み応えがありました。当時のIBMと今の国連(失礼)とはかなり似ているところがあり、IBMとして描かれている社内の様子がかなり国連の内部と酷似していました・・・。特に第26章のまとめのところは大きな官僚組織にもまんまに当てはまる、そして非常に役に立つコンパスとなる内容でした。

★★★
白州次郎 占領を背負った男
ちょっと一周遅れの今頃読みましたが、おもったよりも非常にこの人物のことを等身大でかいているな、という感じがしました。かっこよく着色しようとするといくらでもできるのにそれをあえてしなかったな、という感覚さえ持ちましたが、それがかえって好印象でした。ということで自分にとっては地味な白州次郎論。

・反省 私たちはなぜ失敗したのか?
あまりに実名がでてきて実名を出されている本人たちには恐ろしいような内容がのってますが、まぁ「自己保身」と称される官僚の動向はとくに驚きはなかったですが・・・。

★★
ウィンザーホテル洞爺 夢のホテル

・NGO、常在戦場 

・ウェブ時代5つの定理
私も一年未満ですがベイエリアに住んだことがあるので梅田さんが繰り返して言うシリコンバレーの精神、というのには結構懐かしい思いがします。もちろん当地に実際にすんだわけではないけどもアメリカのなかでももっと特殊な文化圏としてのベイエリアというのがあるとおもいますが、その精神の蒸留を具現化したような人々でごった返しているのがシリコンバレーなのだな、とひたすら感じます。


リッツ・カールトンで学んだ仕事で一番大事なこと
へぇ世界のリッツの支店ではこういうこともやってるのね・やろうとしているね、という程。

集中力

・実録 小泉外交
これは打って変わって全然よくなかったです。まぁ日記と思えばそれまでですが、まぁちょっと外遊の裏側がすこしだけ・・・という内容でした。

なんとか会社を変えてやろう

グーグル・アマゾン化する社会
まさにグーグルを使えばかけるような非常に表面的な話がちりばめられている本。フリーランスとしてまぁがんばってネタ探して書こうとしたのね、という感想。梅田望夫氏の著作に比べればまったくの付加価値なし。

世界で10本の指に入れるとしたら?

インドネシアにいたときの上司がふと私に仮想質問をしてきたことがあります。質問は:

「もし世界で10本の指に入れるような実力者に今すぐなれるとしたら、どういう職種になりたいのか」

というものです。上司はピアニスト、ということでしたが、私は結構考えて、ふと浮かんだのが、「思想家」(Great thinker)というものでした。政治家、哲学者、サッカー選手、とかも浮かんできましたが、これが一番直感的にしっくり来ました(もっとも思い浮かんだ瞬間は自分も結構意外に思いましたが)。

でも思い直してみても、そういうものに俺は価値を見出しているんだなぁ、と結構自分を再発見できたような感じで新鮮でしたね。

皆さんはどうでしょうか?

開発系機関の比喩

実はかなり貧乏で実行力はないけど人望は厚い公家 
      vs 
嫌われてるけど金を握ってて結局は影響力のある豪商

気候変動と地政学

「洞爺湖サミットで日本は"不平等条約"京都議定書の愚を繰り返すな」という記事です。
http://diamond.jp/series/machida/10020/

気候変動というトピックではここに書かれてある事実を確実に考慮に入れないといけないのですが、「平和に反対するのか」という極論っぽい動きが世の中にあることも確かです。

ここまでのレベルで気候変動が「国際社会」の「重要戦略」になっている時点で、(環境への考慮などでは決してなく)列強国が作り出している地政学的な背景があることはほぼ確実です(かなり極端なレベルでは田中字氏のかねてからの考察がその代表格でしょうか)。それがどこまで本当なのか、はあと5年ほどすれば明確になってくると思います。現時点では環境というカバーが掛かっていますが、地政学の世界に環境保護という要素が組み込まれる、ということはまずありえないので・・・。

まぁ私は地政学には関係ないので地道に環境の分野でやっていきますけども・・・。

第二稿完成

やっと昨日の午前3時に博士論文の第二稿を終えました。これからDefense用のプレゼン作りにかかります・・・。今週末までに形を作っておかないといけませんので・・・。

ところで昨日のウィンブルドンはかなりすごかったみたいですね。今日は(かなり眠そうな目の)同僚が結構その話で盛り上がってました(私はテニスは特に興味がないのでその興奮を分かち合えなかったですが・・・)。

今月末はスリランカへの出張が入りそうです。あまり安全なイメージはないですが、まぁ特に心配は要らないと思います。初めてのスリランカとなりますね。

それとそうそう、私のドイツ人のJPOの友達からどうもバンコクに異動でこられそうだ、との連絡を受けました。5月にボンにいったときにもこの話をしていてうまくいくといいねぇといっていたのですが、かなり可能性が高くなっているとのこと。すばらしいです。ともかくドイツから抜け出したい、といっていたのでよかったとおもいます(職場が原因じゃなくて母国はもう飽きた、との論旨)。個人的には気のかなりあういいやつなのでぜひぜひ、という心境ですな。私もこっちにきて公私ともによかったと感じています(バンコクは本当にいいところっす・・・)。

12時間突破

週末のいつものとおりの博士漬けですが、今日もこれで12時間がたってます・・・。

でも来月の半ばで3年間続いたこのアフターファイブ&週末研究者生活が終ると思うとさすがにかなりの安堵感があります。本当に早く終らせて色々と自分の他のしたいことをし始めたいです・・・。タイ語も勉強できてないし、フランス語も完全に忘れかけてますし、写真をもっと勉強・実践したいし、体を動かしたいし(ジムにも行く時間なし)、部屋のインテリアも少しずつもっと付け足していきたいし、タイ国内の旅行にも出たい・・・。あとは将来なにか本でも執筆できればいいなと漠然と考え出してきてます。

でもとにもかくにも好きな本を好きなだけ読みたい・・・。

まぁいずれにせよあと一月ちょっと・・・。

なげー。

モンゴルにおける日本の知名度

ども。これから博士に取り掛かりますが、モンゴル、選挙で結構荒れたみたいですね。先月にいったウランバートルのオフィスの同僚からも安全のために自宅にとどまるようにとの連絡がきていたとのことです(4日間ほどでそれは解除されたようですが)。いったときにかなりお世話になったモンゴル人のコンサルの人は野党側に所属する人のようで、何があったかは知りませんが、選挙以降、連絡がつきません(!)。まだまだ彼としなければならない仕事があるのだけども・・・。まぁ大丈夫だとは思いますが、ちょっとあまり連絡の空白期間ができてしまうのは(仕事を進める上で)あまり好ましくないのでなんとか連絡が取れれば、とは祈ってるのですが・・・。

それはそうとモンゴルは意外に日本のことをしらない、ということが今回のモンゴル出張でわかりました。一番知られている国は韓国、だそうです。言語も文法も語法もほぼまんまに同じ(まぁということは日本語とも一緒なのですが・・・)で、前も書いたとおりに両国の間には労働協定みたいなのがあってモンゴルの人口の1%近い人口が韓国に出稼ぎにいっているとのことです。

そういえば町で人をみても、同じモンゴロイド、そして日本人というよりは韓国人に限りなく近い感じでした。ファッションも韓国のものがかっこいいとおもわれているので、若者はまたこれまた輪をかけて韓国人っぽいです。

インドネシア・タイと世界でも有数の親日国家に住んでいた(いる)私としては「あまりモンゴルでは日本は知られていない」といわれると結構新鮮だったりしますが・・・。

でも日本の相撲はもちろん皆見るようです。ちなみに7月11日からはしばらくは例のナーダム祭りが始まるようです(=モンゴルからの連絡がさらに途絶える・・・)。

そういえばJPO終了

思えば、っていまはっと思い出したのですが、考えてみると先月の6月の最後で(外務省の国連機関への派遣制度の)JPOとしての2年間が終わりとなりました。2006年の6月からの2年間となります。

私の年は年間のJPOの採用人数が40人くらいとなってましたが、まぁなんとか運良くJPOの先も結構面白い仕事をさせてもらいながら残れる、という状況になりました。特に感慨(こういう感情が昔から私には欠落してます)はないですが、節目だった、ということで。

ということで今まで外務省、そして日本の血税で給料をいただいておりましたが、これからはかなり日本の税金の負担が減りまして、他の国の税金がかなり含まった給与をいただくことになります。日本国民の皆様・そして外務省の方々、二年間誠にありがとうございました。

それと博士論文、まぁーーなんとか今週末の締め切りには第二稿、大丈夫そうです。まぁなんとかね。いずれにせよ早くとっとと終わってほしいです・・・。

8月中旬で

BKKに戻ってきてますが、今週末までに博士論文の第二稿を提出して今月末に最終発表、そして8月中旬の論文の最終提出、というスケジュールとなります。6月は今回の出張のせいででなにも博士用の作業ができませんでしたが、BKKに戻った今、いつもどおりに仕事が終ってからの午後7時−深夜の枠で対応してます。早くでも博士をとっとと終わらせて趣味の読書が存分にできるようになればいいです・・・。8月中旬までの辛抱ですなぁ・・・。

長い出張やっと終了

週末がすべて移動に消え、一月間丸ごと続いていた今回の出張もやっと今日で終わりとなりました。まぁでもここまで休みのない断続的な出張は多分まぁそれほど頻繁に来ないとは思いますが・・・(まぁ多分)。

ハノイは最後の2日はそれほどではありませんでしたが、それまでの湿度と温度にはかなり苦労させられました。このせいなのか、ずっと体が疲れているような感覚を覚えてましたが、最後のほうは雨のおかげか、なんとか持ちこたえられました。

で、明日にやっと一月ぶりの週末を過ごすことができます。博士論文の第二草稿を完成させないといけないので特に休めるわけではないですが、落ち着くBKKの環境に戻れるというのは正直ほっとします・・・。

暑いよハノイ

昨日の夜にハノイ入りしていますが・・・暑い。蒸し暑いよ。京都の祇園祭の真っ只中を歩いている感じです(ってピンとこられるかはわかりませんが・・・)。かなりの暑さにちょっと体が疲れたのかハノイ出張の初日の今日はかなり体が重く疲労した感じが強かったです。いきなりの蒸し風呂環境が理由だと思われますが・・・。

昨日の午前はつかの間のバンコクでしたが非常にいい天気で暑すぎず気持ちがいいくらいでしたが、ハノイ。バンコクよりも断然湿度が高いです・・・。あっつ。

タイで反政府デモ

はい先ほどBKKに一旦帰ってきました。北京のInternational Transferでまたかんなりてこずりました・・・(この空港は本当に北京を経由してすぐに出国する、というシナリオを想定せずに運営されているような気がします・・・。あまりに対応が悪く、まったく要領を得ませんでした。このトランジットのために空港内を2往復させられ結局この作業そのものに2時間かかりました・・・)。

で、帰ってきたのもつかの間、早速明日の午後に今度はハノイに向けて発ちます。今月は一日も休みなしです。こんな調子がさすがにずっと続くとなると、ちとつらいですが、今のところはまぁ体調、やる気ともに大丈夫です。

以下、この「タイで反政府デモ」のニュースですが、これ国連のコンパウンドの目の前で繰り広げられてます・・・。もう一ヶ月近く居座ってる計算となりますね。私は偶然この一ヶ月間はオフィスに足を運んでないのでそこまで影響はないのですが、これ、いつまで続くんでしょうかね・・・。
http://www.asahi.com/international/update/0620/TKY200806200301.html

ダルハン

月曜日から2日間、首都のウランバートルから車で5時間ほど北に行ったのダルハン(Darkhan)という郊外に行ってきました。仕事の関係でセメント工場とか金属工場とかを視察していたのでちょっとそこら辺からの写真もはいってますがいずれにせよ、モンゴルのテーマの空、をちょっとまた撮ってきました。

Darkhanのスライドショー

お疲れ

ども。つい先ほどウランバートルから車で片道5時間ほどかっとばしたところにある工場施設・工場の視察を終えて帰ってきました。一泊二日でしたが、かなりの強硬スケジュールでがたがた道路を100キロ以上でかっ飛ばしていたので帰りの道ではさすがに疲れがたまりました・・・。でも天気に非常に恵まれて、綺麗な空(モンゴルのテーマはこれでしょうなぁ・・・)の写真がとれた(はず)ですのでまたアップいたします・・・。

国会議事堂前の広場

今朝の4時間くらいはかなり天気がよく空が綺麗だったのでちょっと写真をとりました。(でもこの空の天候から5時間後には砂嵐が吹き荒れてました。この一日の天気の変わりようというのがモンゴルの特徴のようです・・・。)

テレルジ国立公園





やっとですが、今日の朝からウランバートルから車で1時間ほどのテレルジ(Terelj)国立公園というところに3時間くらいのハイキングをしてきました。やっと首都を抜けての「いかにもモンゴル」をすこしですが体験してきました。綺麗でしたね。ありがたくも天気もよかったので絶好のハイキング日和となりました。上の写真以外にもここからとった20枚ほどの写真をPicasaにアップしました(なんと一年ぶりのアルバムアップ・・・!)のでまたどうぞ。

Tereljのスライドショー

天候

ども。ここは天候の移り変わりがかなり激しく、昨日の朝は汗ばむ陽気だったのにその4時間後は空全体が薄暗くなり、直後には大きな砂嵐で町全体が霧に包まれたようになってました。その夜も気温も6,7度まで下がったりと一日でよくここまで変わるなぁ、という感じです。冬が始まるのは9月くらいだそうですが、今の暖かい時期でもこれですのでまぁここの冬の厳しさは推して知るべし、でしょうかね・・・。
(写真上:モンゴル国立大学と、以下、ウランバートルの普通の写真)

iPhone

あ、そうそう、ついに日本でも出るみたいですね、3GのiPhone。9月の後半にNYに研修(6月のやつが延期になったので)があるのでそのときに買うか日本で買うか、ちょっと考えるところですが、いずれにせよ買いたいと思ってます。一度タイで初代のを使ってみましたが、文句なしにかっこいいですね。iPodが入っている携帯、ということではなく大容量の超マルチメディアデバイス、というほうがしっくりくるように思いました。まぁでもバッテリーのもちがすこし心配ですけども。

まぁ順調

ども。毎日ミーティングにつぐミーティングで今日の最後のほうはすこし疲れましたがなんとか無事にやってます。モンゴルは来る前とは結構イメージが違ってかなり近代的(失礼)で、ウランバートルの都心部でも人口密度が多くないというのは感じられますが、それ以外はいい意味で期待を裏切ってくれてます。

あと同じモンゴロイド、ということでしょうが、かなり(来たときも思いましたが)どちらかというと韓国人のほうに似ている気がします。因みに韓国とモンゴルの間ではある種の労働協定が結ばれているようで、又聞きの話ではモンゴルの人口の1%くらいが韓国に働きに出かけているとのこと。言語も文法もほぼ一緒なのですぐに韓国語を習得する、との事でした。

でもなんでしょう、インドネシアで感じたような(いい意味でも悪い意味でも)発展途上国然としていない雰囲気が逆に結構新鮮であります。皆さん約束の時間もちゃんと守るのでこれもちょっと新鮮です。

今日はやっと晴れました。でもフィンランドで味わったようななんとも言えない突き抜けるような青空、というわけではありませんが、まぁそれなりに綺麗です(街は相変わらず砂埃がありますが)。でもモンゴルのいかにもの自然を見るには最低でも1時間くらい車で行かなければ駄目なようで今回の出張中にいけるかどうかはわかりません。日曜日にすこし時間ができたらいきたいな、とは思ってますが・・・。

モンゴル

モンゴル、などと大げさなタイトルですが、ウランバートルに半日ほど滞在してます。

北京からトランジット、という形でついたのですが、ここの空港は中国国外に向かうトランジット用の標識がまったく空港内になく、世界の中心・中華主義を体で体験した形?になり、トランジット用の入り口を見つけるのに20分ほどかかりました。あとバンコクの空港もびっくりのでかさで10分以上歩いてはじめてゲートが見える、というつくりでした。空港もものすごく近代的で、また明らかに戦略をもってスタッフを配置しているところもあり(例えば荷物検査のところはなぜか全員女性の職員)これはオリンピック体制?と思わず勘ぐっておりました。

さて初めてのモンゴル・ウランバートルなのですが・・・煙たい・ほこりっぽいという印象が先行してます。どうも春にはForest Fireが発生するらしくそのせいで街全体が煙たいです。また彼らの言語は聞いてると韓国語とロシア語の間、という印象が強いですね。

昨日も今日もほとんどを移動で費やしてますが、今日はすこし作業をしてせめてオフィスでし残しているタスクをすることができました・・・。

国連前でのデモ

3時間ほど前にBKKに帰ってきましたが、結局使い切ってしまった名刺をとりに職場に入って来てさっき帰ってきました。

国連の前では例のデモがもうかれこれ1週間以上居座り続けているのですが、特に危険な感じはまったくせずに(屋台とかもでてますし)外人の私にはとりあえずは影響はなさそうでした・・・(が音楽とか演説とかを聴きに何千人も常にいるのでオフィスに行くまでの徒歩の距離に結構時間がかかってしまいましたが・・・。)

これからモンゴルにでます(急になんでこんなに出張が増えたんだろう・・・)。

しっかし忙しい・・・

新しい仕事がBKKで始まって以来の本格的な出張となっていますが、かなり忙しいです・・・。土曜日に帰るのですが、BKKについたその日のうちに今度はモンゴルへと2週間の出張にいってきます・・・。そこまで疲れはたまってませんが、出張のスケジュールにちょっと息つく暇がありません。モンゴルの2週間が終ればまた直接に今度はベトナムとなります・・・。ジャカルタは洪水らしい?ですが、とくに道路など問題はなかったですね。

あれ使えない

メールでの投稿が打って変わって使えなくなってます・・・。なぜだろう・・・。

(→更新:一日経って投稿されました・・・。)

考えてみたら

考えてみたら私のホームページ(今ではこういう言い方もしなくなりましたね・・・)も作り出してから10年たってることになります。アメリカの学部に入学する直前の98年から本格的に更新し始めたので・・・。まぁかなり更新もしてなかったときもありましたが、ずっととりあえずは続いてきたということでまぁそれなりに価値はあるかな、と思ってます。

さて現在ジャカルタに来てますが、2日もいるともう昔住んでいた感覚がよみがえってきて、特にBKKに住んでいるとは思えない感じがしてます。日本に帰ったときのような感じですかね。帰った1,2日は新鮮に日本かぁ、としみじみと感じるのですが、2日以降たつと前からずっと住んでいたような感覚に戻るというやつですかね。

あ、ところで、最新のインディアナ・ジョーンズ(日本ではなぜかインディー・ジョーンズ、となってましたかね)ですが、主人公のハリソン・フォードが私がでた大学(院)の教授、という設定なので、途中ででてくるアクションシーンでは懐かしくいろいろとキャンパスが写ってました。映像で自分がいたところを見るというのは結構(短かったですが)新鮮ですね。(ちなみに「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」も同大学が舞台となってました・・・)

ジャカルタ

はいジャカルタについてます。バンコクに異動してからは4ヶ月ぶりのJKTとなりますね。インドネシアの雰囲気を空港に降り立ってから存分に感じながらホテルに着きました。やっぱり独特の文化・雰囲気が染み付いてますね・・・(ってまぁどこの国でもそうでしょうが)。でもインドネシアは一年半JPOとして始めにいたところなのである種の靄みたいな思い出がちょっと駆けめぐったりしました・・・。一週間のJKTでの仕事、となります。ではでは。

スパムメール?

考えてみたらこうやってメールを一本書くだけでブログが更新できるのはすばらしいのですが、この投稿用のメールアドレスにスパムが来たらそれががっつりと更新されるということですね・・・。ということでそんなのが更新されていたら無視してください。(メールを送ってもすぐに更新されないようにすることはできるのですが、それだったらまたいちいち確認がめんどくさいので・・・まぁどこまでスパムが来ないかはBlogger/Googleチームの技術次第、ということでしょうか。)

明日からジャカルタに一週間の出張となります。もう前にいってから4ヶ月もたってしまってます。はやいっすねぇ・・・。最近は飛行機の中では和書を読むようにしてます。出張はなので読書ができるので楽しみです・・・。早く気兼ねなく読書ができるようになりたいです。この8月に博士を終える(予定)つもりなのでそれ以降は、ねぇ・・・。

では。

ブラティスラバ(付近)

ボンの前に一週間カーボンファイナンス系のトレーニングにブラティスラバに行っていたのですが、実はこの都市、私の学部時代の一番の友人の生まれ故郷でもあります。

今年の一月後半にも同地にいったのですが、このときは例のキャリアプログラムの最終面接で、しかも冬だったのであまり(というか全然)楽しめる余裕はありませんでしたが、今回はそうでもなく暖かい陽気の中、この友人の親戚の人と会ってきました。街も一月の雰囲気とはまったく違い、非常にいい印象を持ちました。

写真はそのときにいった、ブラティスラバから車ですぐのところにあるDevinというお城です(一枚目)。んで二枚目は、この城の上から眺めたドナウ川です。きれいですね。

(・・・しっかしブログの更新がここまで簡単になるとは正直感動です。)

UNFCCC

んで、これらがUNFCCC(気候変動枠組条約)事務局の写真です。

まず一枚目。これはUNFCCCにいくまでのバス停からの道にある風景。

二枚目。これがもともと城だったという(以前はしかしUNVの本部として使われていたようです)事務局の建物。実はがっつりうつっている二階部分はこの事務局長さんのオフィスだったりします。

三枚目。ちょっとひいたアングル。手間にあるのがカフェテリアです。

・・・何かが間違ってますね。ボンは。

UNV

更新が鬼のように簡単になったということで、さっそく写真はってます。

以前の投稿からまた一月更新ができてませんでしたが、その間に私はスロバキアのブラティスラバにトレーニングに、そしてそのあとにドイツのボンに友人を訪ねに行ってきました。ドイツはフライブルクに住んでいたころ以来、となりますのでかれこれもう7年、というすごい年月がたってしまっています。

さて写真ですが、ボンのUNVの本部(の建物からの眺め)であります。すごいですな。なにかが間違ってますね。この街、そして建物は。1枚目は私の友人のオフィスから見える風景(何かがおかしいですね)、そして二枚目は最上階にあるカフェテリアの写真です。何かがおかしいですね。ここは。天空に近いイメージですね。でもちょっと平和すぎ?感があったことは否めませんが、家族がいれば最高の勤務地、だということがずっしりと伝わりました。

これからこちらでどうぞよろしく

はい、移ってきました。これからこのブログのアドレスでこれからもどうぞ長い目でよろしくお願いします。

(ちなみに添付ファイルの形でもこうやって画像が貼れるようです。メールで直接投稿といい、結構楽です。)